12A猫で学んだこと-Memoir-

...What are you learning now?

人狼に関する戯言を

最近、よく遊ばせていただきましたねー人狼。もうしばらくいいかなー参加しなくても。(先生に出会えたのは嬉しかったです。)しばらく潜りますかね. そして, 粛々と人狼以外のことをしましょう. 

徒然なるままに戯言を

 

○他人の進行を簡単には否定できないよ. 
進行ミスと主張されるもののうち, 半分以上は恣意的な感情論や決めつけによって主張されている気がしますね.  実はこのゲーム, 確定的にミスと言える状況は結構稀なゲームだと思うんですよ.自分は数学的に進行の是非を証明するのが好きですが, 数学的な仮定が実際の村で成り立つとは思えませんし, 数学的証明が使えないとなると, 証明できることは非常に限られてきています. システム的にあり得る内訳に基づいた進行提案であれば, 間違いとは言えないでしょうね.一部の人間にとっては, 想像できないような進行だったとしてもね.

○勝敗を全ては相性ですよ. 
人狼の勝敗なんて, 全て相性だと思っています. 
最近, 凄く強いなーと思う, 狼の方と同村させていただいたのですが, 少なくともその村では, その方のplayが面白いとは思いませんでした. 
私が高く評価するプレイヤーは勝率ではなく, 村陣営でも狼陣営でも狐陣営でも, エンターテイメントを提供できるプレイヤーですね. 不完全な人間同士の村だったらまだしも, 完全なる神々の人狼においては,  ゲームの勝率 - 引き分け確率は, 均衡解に収束するはずなんです. (幾つかこのブログでも計算しているようにね. )そんなゲームで高い勝率を目指す人よりは, 質の高いエンターテイメントを提供してくれるプレイヤーを私は高く評価しますね. そして, 自分も勝敗なんかは気にせず, いい誘導ができたらいいなーと思っています. 所詮吊り先の決定なんて相性なので。しかし, 誘導や発言が面白いかどうかは, 勝敗に関わらず伝わってきます. 勝率のような数字でしか自分や他のプレイヤーを評価できないのは, 非常に視野が狭い短絡的な考え方だと思いますね. 
勝率とか気にするんだったら, 将棋とか囲碁とか, 自分自身の力だけで勝率を高められるゲームをやったらどうですかね?

 

○統計的証明の是非について
統計的な結果から 戦略の是非を議論するのは, 「そのゲーム環境において勝率を高くする」という目的に照らし合わせれば, 有益な議論ですが, 「そのゲーム環境において良い」進行を知った所で何の役に立つの? と思ってしまう自分がいますね. 人狼なんて高度なジャンケンにすぎません. 統計的手法に基づく進行の是非議論は, 今の村でグーが出されている数が多いか, パーが出されている数が多いかを調べて, それに基づいて進行提案をしているだけです. 
個人的に, そういったデータを集めて解析しているのはすごくいいことだと思っていますし, 面白いと思っています.....素晴らしいエンターテイメントです! ただ, その統計的データから導出される結果が, その配役の人狼ゲームにおいて, 普遍的な結果だという主張は間違っていると思うのです. 

例えば, 12A猫配役でのロケットCOを積極的に肯定する材料として,
「1-0展開の時, 伏せ展開のゲームの村勝率が圧倒的に悪いから」という論は正しいです. しかし, それが成り立っているのは、
「初日, 人外の●打ちの割合が非常に高くなっている」ということと、
「狼に●があたったときの, その狼のCCOの割合が非常に高くなっている」可能性が高いからだと見ています. (1-0展開で, ●先が狼の統計的確率が非常に小さくなっているから)
『狂人が●打を全くしない + 狼が●打ちを全くしない』という環境の前提下を考えた場合は, 確実に●吊りが村側の優位な戦略になります. 今のゲーム環境では、こうなっていないというだけですね. ロケットCOすること前提になる進行が主流になったら、
狼としてはCCOなしの進行をする. そして●打ちをすることも止める.
○でロケットCOをして, そして狂人は占い騙りにでる. これが, 村側のロケットCO戦略に対抗する狼の有利な戦略だと見ています。 統計的に現在のゲーム環境でロケットCOをした方が良いという根拠にはなります。 しかし, 真占いが●を狼に当てているケースにおいても, FOの方が良いのだという結果が得られないと 絶対優位の戦略とは言えませんね。 私は、村の進行は多様性にとんだ方がいいという考え方を持っています。 繰り返しになりますが, 勝敗よりも、エンターテイメントとして楽しむのが実際のゲームに参加する意義だと思っているので。 だから、ロケットCOもいいし, 伏せていてもいい. ただ, どちらのCOであったとしても, 村人/狼としてその地点からの考察を開始するだけです.

 

人狼というゲームは, 人間の悲しい性が見えるゲームだと思っています. 
このゲームに触れて, 自分は自分の悲しい部分をたくさんみてきました. 
そして他のPlayerの悲しい側面もね. 

 

I think maybe these statements are also nothing but murmurs by a drunken boy, but 
I believe sometimes a diary by a fool is useful for a wise man. 
I hope this blog can provide informative contents to intelligent people.
See you, someday, somehow, till I return to this game again. 

 

Good night See you someday.